言霊と革命を超えてからリブログされた。リアクションが272件
しかし日本文化はそういうノイズに塗れた中から、秀逸なひとにぎりのクリエイターを生み出してきた。そういうフィリタリングシステムを作り上げてきたのである。全員が力をそろえてひとつの構造を作り上げるのではなく、バカや暇人が好き勝手なことをやってただコンテンツ消費をしているだけの中から、フィルタリングしてわずかひとにぎりの天才クリエイターを生み出すというただそれだけのことを、日本文化は綿々とやってきたのだ。
日本の文化は、つねに社会のメインストリームとは外れたところから生み出されてきた。圧倒的な男の漢文社会の中から生まれた枕草子や源氏物語がそうだったし、武家社会の中で生まれた町人文化である歌舞伎や浄瑠璃がそうだったし、明治維新の富国強兵の中から生まれた近代に批判的な目を向けた夏目漱石もそうだった。どうでもいい個人的な話を延々と描き続けた私小説なんて、その最たるものである。
だから日本では、社会のメインストリームと最も優秀なカルチャーはつねに一体化しないのである。つまりは古代から現代まで一貫して、日本の文化を担う中心軸はサブカルチャーだったのだ。ここに来て急にニコニコ動画やアニメのようなサブカルチャーが「日本の誇るコンテンツで海外に輸出しなければ」と言われて変に気恥ずかしい思いになってしまうのは、そういう歴史的背景がある。しょせんサブカルなんだから、気持ち悪いからそっちから歩み寄って来ないでよ……というわけだ。
それはアメリカのような雄々しい国から見れば、くだらない社会かもしれないけれど、しかし圧倒的にすばらしいクリエイターを生み出す結果となった。アメリカはグーグルやアマゾンやフェースブックのような強いプラットフォーム支配者構造を作り出すことには長けているけれども、アメリカ映画やアメリカ音楽はマーケティングによって生産されたコンテンツが大半を占める。音楽にしろ映画にしろ、なにかインダストリアルな雰囲気がアメリカ文化につねに漂っているのは、そのように構造主導で文化が創られているからだ。
出典: katoyuu